幸福とは何か?
現代の幸福理解のルーツは、紀元前480年頃までさかのぼることができる。
ヘロドトス「歴史」
BC480頃
幸福とは移ろいやすいものである。
ある人が幸福だったかどうかは、亡くなってはじめてわかるものである。
アリストテレス「ニコマコス倫理学」
BC382〜322くらい?
「幸福は人生の目的であり、全ての人間存在にとっての最終目標だ」と述べた。
アリストテレスによる幸福理解は「エウダイモニア」という造語によって表現されている。
エウダイモニアの意味は「人生の意味の創造」。
快楽や楽しみに溺れるのではなく、自分の居場所を見つけ、自分よりも大きい何かの一部になることが幸福な人生であるとした。
エピクロス「快楽主義」
BC300
エピクロスは、「人間は快楽を求め、苦痛を避けようとするものである」とした。
快楽主義(hedonisim)である。
快楽主義者のことをエピキュリアンとも呼ぶ。
トマス・アクィナス「二重の幸福」
13世紀にアリストテレスの「ニコマコス倫理学」がリバイバルされる。
アリストテレスの世界観と知識の論理的な組み立ては、ヨーロッパ世界の神学者・哲学者・科学者に感銘と衝撃を与えた。
しかし、アリストテレスの幸福論は、当時のキリスト教の概念とは異なるものであった。
そのためトマス・アクィナスは「二重の幸福」という概念を打ち立て、両者の矛盾の解消をはかった。
「人間が現世で幸福を見つけることは可能だが、それはあの世の幸福とは比べようのないものである」
これによって人々は、現世での幸福追求に関する議論をすることができるようになった。
ジョン・ロック「幸福追求」
AD1632
ロックは「人間知性論」というエッセイで幸福追求という言葉をはじめて使った。
この言葉はのちのアメリカ独立宣言にも使用されることになる。
これにより、人々が現世で幸福を追求することは自然なことである、と考えられるようになった。
トマス・ジェファーソンによるアメリカ独立宣言
AD1776
のちの第3代アメリカ大統領となるトマス・ジェファーソンは、アメリカ独立宣言を起草した。
これにより、人々が幸福を追求することは、自然なことであるだけでなく、権利として認められるようになった。