前回までは「怒らない」ということについて考えてきました。

今回はすこし方向性を変えて、「怒らなきゃいけない」ということについて考えてみたいと思います。

例えば小さな子どもがいる家庭では、怒らなきゃいけないときもあります。そのように考えたとき、「そもそも怒りとはなんだろう。単純に怒りっぽいのをやめたいと考えてきたけれど、もうすこし客観的に怒りという感情について調べてみるべきでは?」と感じるようになりました。

それであれこれ調べたあげく、とても納得したの次の文章です。

 そもそも怒りという感情を、我々がもっているのは、それが有用なものだからだ。大体、怒りという情動が進化してくるのは、両生類・爬虫類くらいからで、鳥類や哺乳類から進化した愛着などよりも、もっと長い歴史をもつ仕組みだと言える。それほど、生存にとって重要なものなのだ。わが身やわが子の安全が脅かされると怒りのスイッチが入り、攻撃性が高まって果敢に外的と戦うだけでなく、強い怒りを示し、威嚇することで、戦いを避けられることも多い。


 怒らないものよりも怒るものの方が生き残れたから、人類に至るまで、怒りの感情が保持され続けているのだ。


 さらに、我々人間は、怒りをコントロールする術も進化させてきた。人類にだけ高度に発達している前頭前野という脳の領域の重要な働きの一つは、怒りなどの強い情動をコントロールすることだ。怒りに飲み込まれるのではなく、怒りを巧みに操ることで、交渉を有利に進めたり、愛情を深めたりすることも可能なのだ。

 怒りという強い情動のパワーと、知恵という理性のコントロールが組み合わさることで、使いようによっては、それは非常に効果的なコミュニケーションの手段となる。


 怒りをうまく使えば、相手とのコミュニケーションや関係をより深まる方向に促すこともできる。なかなか煮え切らない相手に怒りをぶつけ、本気モードにさせたり、優しさや配慮を忘れがちな相手に怒りを示すことで、礼儀や思いやりを取り戻させることもできる。こうした建設的な怒りは、機能的怒りと呼ばれる。


 それに対して、ただ爆発し、信頼関係を壊し、傷痕しか残さないような破壊的な怒りは、非機能的怒りと呼ばれる。夫婦がいがみ合い始めたとき、増えてしまうのは、こちらの非機能的怒りだ。すべての怒りが悪いわけではなく、非機能的怒りばかりが繰り返されることが問題なのだ。


夫婦という病 岡田尊司(河出書房新社 2018)

怒りという感情は、私たちにとって役に立つものである。さらにそれをコントロールすることができれば、効果的なコントロールの手段ともなる。

また「怒り」とひとことで言っても、機能的・非機能的にわけることができる。

これについて知ったとき、機能的な怒りは抑えるのではなく、コミュニケーションの手段として活用することを考えればよく、特に私が気をつけるべきなのは非機能的な怒りなんだ、ということがよくわかりました。それに、「すべての怒りが悪いわけではない」という言葉は、私にとってはとても慰めになりました。

では具体的に、どうすればよいか? 前回の「こまめに短く休息」の他に、なにか方法はないだろうか?

いろいろ調べたところ、認知行動療法からそのヒントを得ることができました。

(続く)

次回は、知ったかぶり読書術「怒り」編、とりあえずの最終回です。

この記事を書いた人

Y.Udagawa

趣味はクラシックギターと読書。2019年は「独立15周年!」の個人的お祝いイヤー。三児の父、全員男。