私は、怒りっぽい自分に悩んでいました。

うまく感情をコントロールできなかったのです。

もちろん子育て中のイライラ、というものは誰にでもあることだろうとは思います。男の子が三人もいれば家の中はカオス状態になるし、それに加えてちょっと個性的な奥さんでもあったせいか、はちゃめちゃな毎日。だから当初は、怒ることそれ自体を正当化していました。

しかし正当性があったとしても、相手に通じなければ意味はありません。なによりも「怒ってしまう自分自身」というものが、好きになれなかった。

何冊か本を読んだのですが、「怒り」それ自体をテーマにしているものについては、あまり参考になるものを見つけられませんでした。私が「これだ」と感じたのは、佐藤優の「人に強くなる極意」の以下の部分です。

 感情的な怒り、ドッと湧き出してくる怒りを完全になくすことはまずできません。“神がかり的な” という言葉を使いましたが、まさに降りてきてしまう。ただし、感情が湧き出ることは抑えられなくても、それを別な方向に向ける回路を組み込むことはできます。

 それは、やはり理性がカギになります。たとえばなんだかイライラするとか、怒りが湧いてきたという時に、この感情がなぜ出てきたのか、どこから出てきたのかを客観的に分析するのです。できうる限り合理的に説明してみましょう。

 例えばこの怒りは嫉妬からくるものなのか、コンプレックスからくるのか、あるいは焦りからなのか。その出所がわかったら、なぜ嫉妬するのか、どうしてコンプレックスを持つのか、なぜ焦っているのかと続けて分析していく。

 そのように論理的に感情の糸をほどいていくと、まずその作業自体で冷静になれます。なんならノートや紙に自分の感情を書き出し、箇条書きにしたり図にしたりして分析してみてもいい。すると、自分を見ているもう一人の自分がいることに気づくでしょう。

 これを「メタ認知」というのですが、物事を引いた目線で俯瞰してみる。すると怒っている自分を、もう一人の自分が客観的に見ているという構図が生まれます。この構図ができると、怒りで我を忘れるという神がかり的な状態にはまず陥らずにすむでしょう。

 さらにそうやって自分の感情を客観的に分析していくと、実は怒りそのものが自分自身の誤解や思い込み、間違った判断から生まれてきていることに気づきます。一方的に相手が悪いと思っていたのが、実は向こうにも向こうなりの論理があるとか、実は自分も同じような過ちをしているじゃないかとか、そういう気づきがある。

 ここまでくれば、怒りの感情はすでに元のものとはかなり違ってきているはずです。感情とは、ある意味わがままで理不尽な力であり、それ自体を完全に消し去ることはできません。ただし理性の光を当てることによって、それを変質させることができる。まさに理性の勝利といえるでしょう。

佐藤優 人に強くなる極意(青春新書インテリジェンス) 

長くなりましたが、これはやってみるとまさにその通りでした。私は私自身の怒りの原因を見つめ、分析し、あるとき気づいたのです。単なる嫉妬みたいなものじゃないか、と。

また怒りそのものが誤解や思い込みなどから生まれてきている、とあります。このことについて体感してからは、可能なかぎり相手(怒りの対象)を理解するように努めました。私の場合、理解できると怒ることができなくなってしまうからです。しかし、人と人との間の理解というものは、それが深くなればなるほど、難しく繊細です。変な話、「これ以上はわかり合えないな」ということを理解できた、というくらいにとどまることもある。

「人に強くなる極意」では、小説を読んだり映画を観たりして、その中の人生を疑似体験することによって、メタ認知に磨きをかけることができる、とアドバイスされています。

もしかしたら、「怒り」それ自体をテーマにした本では、「それを消し去ることはできない」とはなかなか書けないのかもしれません。この本は怒りそれ自体をテーマにした本ではありませんし、よくよく考えてみれば、いま起きていることを冷静に分析するというのは、誰でもがどこかでトライしているようなことでもあります。

しかしそれでも、私にとってとてもおおきな収穫でした。